【人の否定しないこと】
僕が三味線をはじめてから早いもので、もう12年くらい経ちます。三味線を始めて最初の頃はとにかく楽しくて練習もたくさんしました。
めきめきと上達して、コンクールで、いくつかの賞もいただきました。
もっと上へ、もっと上へ、向上心は研究心へとつながり、自然と「これは良い演奏」「これはダメな演奏」と他人の演奏を分析するようになりました。
その結果、もちろん進歩はありました。他人の良いところを吸収した上で、人のふり見て我がふり直すのですから、当然と言えば当然の結果。
でも、ある程度から上にはなかなか伸びず、自分としてはここ数年、苦悩の音楽人生だったように思います。
「どこがいけないのか?」「どこを直すべきなのか?」時に他人を否定的に分析することのあったその眼差しは、知らず知らずの内に、自分に向けられていたのです。
この、他人やある物事を、いわば『否定的』に分析することこそが、自分の進歩を妨げる最大の敵だったということに最近気づいたのです。
自分の粗探しをする自分がこわいのですから、のびのびと音楽に集中することができていなかったのでしょう。
世の中には、他人の音楽や芸術をボロクソに否定する人がいます。僕も、数こそ少なかれ否定されたことはあります。自己表現を否定されるのですから、ショックも大きいです。
でも、僕の知る一流プレイヤーの方々が、口悪く誰かを否定するのは聞いたことがありません。僕の好きな芸術家はそんなことしそうにない人達ばかりです。
よく言う「自分を信じて!」とかこの類のセリフ、言うは易しで実行するのは本当に難しい。。
なぜなら、人を否定する心は多かれ少なかれ人の心に必ず存在して、最後は自分を否定することで、自分を完全に解放することができないからです。
もちろん、進歩のために物事の良し悪しを判断する目は必要です。
でも最終的に『否定』は必要ではない。
例えば本番前の自己の粗探しは誰が得をしますか?
それよりも、自分の良いところやできることを『肯定』した方が、よっぽど幸が多いはずです。
世界の見え方が大きく変わった、自分の中では大きな悟りでした。
まぁ完全には無理ですけど、心がけです、心がけ。
否定することは否定できないはず。とか、理系の自分には少しお休みしてもらいましょう(笑)
ややこしくなりすぎるから…^^;
忘れないように、そして誰かのためになればと思い長文書いてみました。
ここまで読んでくださった方々、ありがとうございました^^